生産者概要
自己紹介
代々漁師の家系で育ちましたが、中学卒業後には「外に出たい」という思いから地元を出て進学。東京で林業系の会社を起業しました。1次産業には何かしらの想いがあったのだと思います。しかし、東日本大震災の津波で地元は大きな被害を受けました。捨てたはずの故郷は、失ってみると大切なものだと気づき「地元のためにも何かしたい」という思いで父親に「漁師をやりたい」と打ち明けました。
半年後には地元に戻り、船や漁港の復旧が進み、ホタテが養殖できるようになった2016年に漁師を始めました。
受け継いだ「絶対に美味いものをつくる」という意志と、「食を通した人とのつながり」を生かして、世の中を幸せにしたいと思っています。
ホタテ貝の耳吊り漁法による養殖の発祥とも言われる大船渡で約50年の伝統を誇る代々、漁業を生業としている中野家の跡取り、中野圭さん。
中学卒業後には「外に出たい」という思いから地元を出て進学。東京で林業系の会社を起業後、東日本大震災の津波で地元は大きな被害を受けました。捨てたはずの故郷は、失ってみると大切なものだと気づき「地元のためにも何かしたい」という思い、震災半年後には地元に戻り、船や漁港の復旧が進み、ホタテが養殖できるようになった2016年に漁師を始めました。 |
中学卒業後には「外に出たい」という思いから地元を出て進学。東京で林業系の会社を起業後、東日本大震災の津波で地元は大きな被害を受けました。捨てたはずの故郷は、失ってみると大切なものだと気づき「地元のためにも何かしたい」という思い、震災半年後には地元に戻り、船や漁港の復旧が進み、ホタテが養殖できるようになった2016年に漁師を始めました。
受け継いだ「絶対に美味いものをつくる」という意志と、「食を通した人とのつながり」を生かして、世の中を幸せにしたいと思っています。